私は河内音頭が大好きで、6月後半から9月末までは主として河内家菊水丸師匠が
音頭をとる櫓(やぐら)を中心に踊りに出かけます。
盆踊りは日本全国いろんなところで色んな歌や踊りがあり盆の前後に多くの老若
男女が踊りますよね!
ここではそんな中私が河内音頭の盆踊りに何故興味を持って出かけるようになっ
たかを少し記憶に基づいて紹介します。
単なる私の記憶などからの記述なので私個人の思いや意見で間違っていることも
有るかも知れませんし大した意味は無いのを、ご容赦ください。
私は新潟県柏崎市という、米どころの田舎で生まれ育ち少年野球に明け暮れて
小中学校時代を過ごしました。新潟はご存じの通り佐渡おけさなど良い民謡があ
り、お年寄りは民謡が好きな地方だと思います。(私が勝手にそう思っている)
そんなわけでか?小学校でも地元の民謡を教えて運動会で踊る習慣が有りまし
た。ただ男の子たちはあんまり嬉しい教育ではありません。私の学校は地元新潟
県柏崎市ということで「三階節」という地元の民謡を盆踊りに踊る練習をしてい
ました。https://840.gnpp.jp/sangaibushi/ なぜかザピーナツが?
登校前に母に三階節の練習いやだなと言うと母が勝、覚えておけよ!大きくなっ
ていつかあー踊れる、覚えておいて良かったと思う時が来るよ!と言われました。
そかな?くらいでした。
私はその後NECに就職し東京勤務に成りますが、盆踊りや河内音頭との出会い
等は有りませんでしたが、ある時ふと今東光の「悪名」という本を読んで、八尾
の浅吉さんに出合い、勝新太郎と田宮二郎の同名映画も観て楽しみ八尾という地
名が自然に心に刻まれました。ただこの段階では、映画の中で勝新が歌う?読む?
河内音頭を聞いて、いいな!と何となく思ったくらいでした。
私がそのまま東京にいたら河内音頭を踊ることは無かったかも?
カラオケで 河内おとこ節 中村美津子を聴いたり、真似て歌うことくらいは?
その後東京での勤務時代は盆踊りも河内音頭も特に興味も縁もありませんでした。
私はNECでJRをお客様とする仕事や、防衛庁の航空自衛隊の仕事などをやっていて
上司や先輩にも恵まれて、JRの座席予約のフロントエンドコンピュータの開発等で
も評価されて、割と順風満帆なサラリーマン時代を送っていました。
朝日新聞の活字から電子編集(CTS)に代わるプロジェクトの担当をしたりして先端
をいく仕事をしていましたので東京で一生終えるなと思っていました。
ところがある日、三田事業場の私の席の前に、長身のビジネスマンが突然訪ねてき
て、生田さんですよね?大阪でできない(やったことが無い)仕事を受注したので、
大阪へ来てリーダーをやって貰えないかと言われたことから、人生が変わります。